2000年前の集落を想像してみて!「日高遺跡」

春の香りが気持ちいいので、今日は両毛線沿いを高崎の市境までピューンと行ってみたのん!
そうしたら、関越自動車道に沿った日高町と中尾町にまたがったあたりで気になるものを見つけたんだ!

「史跡日高遺跡」って書いてある。

高崎にはたくさんの遺跡があるけど、ここは、弥生人がどのような生活を営んでいたかがわかる貴重な遺跡なんだって!
国指定の文化財として大切にされているのん。

日高遺跡が日本で有名な弥生遺跡として脚光をあびるようになったのは、1977年におこなわれた関越自動車道の建設に先立ち発掘調査をした時に、弥生時代後期(2~3世紀頃)の水田やお墓の跡などが発見されたからなんだ。

浅間山の爆発によって降り積もった軽石層に覆われていたので、良い状態で保存されていたんだって!

今から2000年近く前にここではどんな暮らしがあったのかな!?

弥生時代の農業は、水田農業が中心だったと考えられていて、ここ日高遺跡の水田は、榛名山麓から流れる井野川と、染谷川にはさまれた地帯で、
谷の自然条件を巧みに応用していたんだって!

弥生人の知恵ってすごい!
この水田跡から、弥生人の足跡もみつかったんだ!。
現代人と似通った体型をしていたみたいだよ!

そして「環壕集落」という、環壕(かんごう)と呼ばれる堀にぐるっと囲まれた集落が確認されているの。

直径が110〜120mの楕円形で周囲をV字型の環濠が掘られていて、断面は深さが約1.2メートル・幅が2.0~2.5メートルのとっても急な斜面のつくり。

内側には土塁(堤防状の壁)めぐっていて、防御に適した構造だ!
その環壕に囲まれた内側が居住域。竪穴建物跡も発見されたよ!
外敵などからもしっかりと人々を守っていたんだね!

さらに環壕集落の東には、円形周溝墓も確認されてるんだ。
このお墓は、群馬・長野県地域に特徴的な木棺の底に小石が敷き詰められたつくりで、埋葬施設を取り囲む溝からは、土器を使った赤ちゃん用の棺も見つかっているんだって。

その他にも出土されたものがたーくさん。
弥生式土器や農具、生活用具などの木製品や石器、また、動植物の遺体や、首飾りなど。弓などもあって、狩りもしていたのかな?
うわあ、弥生人さんたちが身近に感じるのん!

このように生産の地域、集落の地域、お墓の地域という、当時の一地域の姿をそのまま残したとーっても稀な遺跡なんだのん!

公園として整備が進んでいて今年度中に一部開園予定!

芝生の広場や水田エリアで稲作体験もできるようになるみたい!
楽しみだのーん!

参考 群馬県の歴史シリーズ2 図説・高崎の歴史 石原征明著

(上毛新聞タカタイ 2015年5月15日掲載内容に加筆修正)