小さいけれど、とても豊かな暮らしを思わせる「洗心亭」

今回のんのんが行ってきたのは「洗心亭」というおうち。毎年お正月にだるま市が開かれる少林山(鼻高町)はみんな良く知ってるよね!

その境内に大切に残されている小さな木造の平屋の住宅だのん。

この「洗心亭」は群馬県指定史跡として貴重な歴史をもったおうちなんだ。

時代は昭和戦後の時代。敗戦後のドイツで国づくりのために優れた集合住宅などを建築したブルーノ・タウト(1880~1938)という有名な建築家がいたの。

彼が設計したベルリンの集合住宅は2008年に世界文化遺産に登録されたほどのとても偉大な人なんだよ。

でも当時、ナチス政権ににらまれることになったタウトさんは、エリカ夫人と一緒に国外逃亡(亡命)を図り、そして昭和8年(1933)5月3日、日本にやってきたんだ。

タウトさん夫婦が日本にいたのは昭和11年10月までの3年半。京都や仙台で日本の文化に触れ、高崎の実業家、井上房一郎さんに紹介をされこの少林山にやってきたんだ。

そして2年3カ月余り住んだのがこの「洗心亭」だよ。

建物は大正時代に建てられたもので、 平屋で6畳と4畳半の二間の小さなおうち。

本当にミニマムなのに囲炉裏や縁側、床の間などがあって、質素だけれど無駄が無く、機能的。

少林山の自然に囲まれて、とっても豊かな空間だったんだね。

異国の建築家がたどり着いたのは、こういう建築だったんだ~とのんのんは感動しちゃったのん。

タウトさんはそこに住みながら木工家具や竹工芸の指導や設計を行い、そのデザインは、高崎周辺の町や村の無名の手工業者の手によって工夫が重ねられて、新しい優れた工芸品が生産されたんだ。

また、少林山の節分会で「年男」として豆まきをしたり、昭和10年9月に碓氷川が大雨で氾濫を起こした時には村に義捐金を出すなど、日本の文化と地元の人々を愛する人だったんだ。

この洗心亭を拠点にして日本の研究に励んだタウトさんは、ここで日本の文化や美をテーマにした沢山の本を執筆し素晴らしさを世界に発表したの。

家のそばには、彼の「私は日本を愛する」と書かれた記念碑があるよ。

日本のことをこんなに大切に思ってくれたタウトさん。
もっと彼のことを知りたくなったのん。

(上毛新聞タカタイ 2014年2月14日掲載内容に加筆修正)