建築物としても見所満載!「音楽センター」

今回は、みんなが良く知っている高崎市庁舎のすぐそばの「音楽センター」についてのお話だよ!

設立のきっかけは敗戦直後の荒廃の時代に生まれた「高崎市民オーケストラ」。
最初はアマチュアオーケストラだったこの団体は、十分な演奏設備の整った会場もない地方都市で、市民の力と強い思いと共に、群馬交響楽団を誕生させたんだ!

そして、この群響の活動はなんと、「ここに泉あり」(昭和30年(1955))という映画になったんだ!
小林桂樹や岸恵子といったスター級の俳優が演じ、当時の市民は撮影や資金集めに積極的に協力したんだって。

この映画で群響が全国的に有名になって、
いっそう市民の中に根をおろしはじめたんだ。
そして、昭和31年(1956)、群馬県が「音楽モデル県」に指定されたことをきっかけに、その群響の地元である高崎市で音楽ホール建設を求める声がわき上がったんだのん!

音楽センターの設計は、世界的な建築家アントニン・レーモンド(1888-1976)だよ。
市民の力と資金で建てられるため、無駄なものは省き、できるだけ長持ちするものを建てる事を決め、また、客席と舞台の一体化や、周囲の高崎城址の美しい環境に馴染むことを心がけ設計されたんだって。

厳しい条件の中で困難な設計は三案まで考えられたんだって。
そして計画されてから7年の長い歳月を費やし昭和36年(1961)7月18日に音楽センターは完成。
総工費は3億3,500万円で、寄付金1億円のうち市民の寄付は約3,500万円だったんだって!
レーモンドさんも市民みんなの姿にきっと心を打たれたんだね。

設立時音楽センターの席数は、1,960席。
プラス1つの舞台で設立の1,961年という
記念の意味が込められていたらしいよ。素敵だのん!

それからはウィーン少年合唱団や、松竹歌劇団、キエフ・バレエなど、その他もたっくさんの音楽や芸術を高崎に呼んでくれて、高崎の文化の発展を支えてきてくれたんだ!

平成10年(1998)には、建設省「公共建築百選」にも選ばれたり、平成11年(1999)、日本建築学会による「日本におけるモダニズム建築の軌跡を示す代表的な建物 20選」に選ばれたんだって!
すごいなー!

音楽センタ―の前庭には、「昭和36年ときの高崎市民之を建つ」と刻まれた石碑が立っているよ。

市民の想いと歴史が込められた高崎の文化のシンボルとして、これからもみんなで大切に活用して、
素敵な高崎の文化をどんどん盛り上げていこーね!

(上毛新聞タカタイ 2013年11月22日掲載内容に加筆修正)