昭和まで残ってた船渡り!「萩原の渡し公田の渡し」

『萩原の渡し(公田の渡し)』

今回はよく晴れてとても暑い日なので河原に降りてみようっと!

高崎の端、前橋との市境を流れる利根川に来てみたのん。

群馬県道27号高崎駒形線を高崎市と前橋市の間にある利根川に架かる昭和大橋。
この橋は毎年行われるニューイヤー駅伝の2区の終盤、第2中継所の手前で通る橋だのん。

橋を進んで高崎と前橋の市境まで来てみたよ。ここまでが高崎で、あっちは前橋だ!

それにしても利根川って大きい川だのん!日本で2番目に長い川だね。

よーし、せっかくだから下まで降りてみよっと。

降りてみると川沿いには利根川自転車道があって、沢山の人達が自転車で行き来しているのん。
青空の下で自転車を漕ぐのも気持ちよさそう!

『あれっ!? 自転車道の脇に何か石碑がある!』
気になったから見てみたのん。

石碑にはこう書いてあったよ。
『ここにかつて対岸へ渡る「渡」があった。そのむかし、この付近の利根川は川幅1町40間(約180メートル)、水深3丈(約9メートル)あったといわれ、激流のため棹(さお)が使えず、両岸から綱を張り、これを手繰って渡ったという。

明治10年頃には12艘(そう)の船を置き板を敷き並べて、舟橋に改めたが、度重なる出水により再び渡船となった。
その後、昭和大橋の完成により、昭和47年をもって廃止された。』

うわあ!昔はこの広い川を綱を手繰って渡っていたんだ!?大変な思いをして川を渡っていたんだなあ!

から自転車道を挟んだ河川敷の入り口付近には、コンクリート製の基礎のようなものがあったのん。これが当時の船着場の跡かな?

それにしても本当に昔の人はすごいのん。かつての利根川は今よりもっともっと幅広く、竿が届かないほど深かったんだね。
今は当たり前のように立派な橋があるから、みんな簡単に前橋へ行けるけど、橋が無かった頃は、人々は対岸に行くために皆ここから船で渡っていたんだね。

のんのんの知り合いのおじいちゃんにお話を聞いてみたら、おじいちゃんの若い頃、ここに渡し船があったことをよーく覚えていたよ。
船着場には人が並んで賑わっていたんだって。みんなの近くにも当時のことを覚えている人がいるかもしれないね!

昭和大橋の中央分離帯には「萩原公田渡し跡」と石碑もあったよ。
上にあるのは渡し船のモチーフかな?

高崎の萩原町と前橋の公田町を結ぶから、高崎側からは「萩原の渡」、前橋側からは「公田の渡」と呼ばれていたんだって。

ちょっとスリリングだけど、生活のために必要だった川渡り。お天気のいい日に河原に立ったら、みんなもちょっと想像してみると面白いかも。

(上毛新聞タカタイ 2016年5月25日掲載内容に加筆修正)