景色の中に、大軍勢が見えてきそう…「神流川合戦の碑」

今回は戦国時代へ「いざ出陣!」だ〜!!

2006年に高崎市の仲間入りをした、新町。
高崎市内から国道17号線を東京方面にずーっと行くと、神流川(かんながわ)があるんだ。

川に架かる神流川橋の先は埼玉県だよ。

この神流川は、三国山を水源に持ち、下久保ダムを通り、群馬県と埼玉県の県境を流れ新町地先で烏川に注ぐ川。

神流川の名前は、神(カム)の川が「神名」に転じたことに由来しているんだって。

「上」の国から流れる川の意味とも言われているよ。

時は戦国時代。長篠の戦いで武田氏を敗った織田信長と徳川家康の連合軍は、天平10年(1582年)、武田領国の甲斐、信濃、上野の地を手に入れたの。

その中で、関東を押さえることを命じられたのが、信長の重臣の「滝川一益(かずます)」。廐橋城(いまの前橋)城主として、関東管領として北関東を制圧していたの。
一益がこれから東上州への進出を計画していた時に起こったのが、あの「本能寺の変」だったんだ!。

織田信長が明智光秀に討たれたことを知った一益は、仇を討つため、上州軍を率いて、急いで京へのぼろうとたんだけれど、信長の死を知った小田原の北条氏直、武州鉢形城主北条氏邦の連合軍がそれを阻止しようとして、ここで激突したの!!

戦場は現在の神流川の付近が中心となっていたので、この戦いは「神流川合戦」と呼ばれているんだって。

神流川橋の高崎側のふもとに、そのことを示す石碑が建ってるよ。

総勢約7万とも言われる大軍による大激戦!!

戦国時代の関東最大といわれる戦いだったんだって!

この辺りで沢山の人たちが命をかけて戦っていたんだ…。
高崎もいろいろな時代を乗り越えてきたんだのん…。

戦国の昔に思いを馳せてたら、高崎のことをもっともっと知りたくなったのん。

出典:国土交通省ホームページ
参照:新町町誌/新町町誌編纂委員会

(上毛新聞タカタイ 2015年1月16日掲載内容に加筆修正)