歌を詠む人の足跡を思わせる「定家神社 常世神社」

みんなの家の近所にも神社があって、子供の頃その境内で遊んだりしてたかな?
今日はそんな小さな頃から親しみのある身近な神社に行ってみたのん。

下佐野町にある「定家神社」はこの地元では「定家さま」と呼ばれているのん。

「定家神社」は『新古今和歌集』『新勅撰和歌集』の二つの勅撰集の撰者を務めた、鎌倉時代初期に活躍した歌人藤原定家を祭神としているんだ。それで定家さまと呼ばれているんだね。

神社には社宝として、定家神社縁起1巻・伝藤原定家筆「在原業平歌集」・宮部義正独詠短冊1枚・源武邨奉納和歌1首があるんだって。

武邨の和歌1首には、「自分のまごころをもって定家神社にこもり、和歌をつくり神前に奉納します。」という意味の文と和歌一首がかかれてるんだけれど、いずれも定家への崇敬のあかしとして奉納されたもので、高崎市の指定重要文化財になっているよ。

神社には広―い境大があって、大きな木も多くてこんもりとした森みたいになっているよ。

本殿の左側にはブランコやジャングルジムがあって、遊ぶこともできるんだ。

それから、仁王さまがいらっしゃるお堂の辺りにはヒガンバナがさいて、とってもきれいだったのん。

でも、どうしてこの場所に定家さまが祭られているのかな?

「定家神社由緒略記」によると、新古今集の歌<駒止めて 袖打ちはらふ かげもなし 佐野の渡りの 雪の夕暮れ>この歌に詠まれている紀伊国佐野をこの地だと勘違いしたみたい。

でも、実はここ佐野のあたりには、悲しい伝説の残る「佐野の船橋」や鉢の木で有名な「常世神社」もある事から昔の人の素敵な想像力で、結びつけられたのかな。興味深いのん。

定家神社から少し高架道路沿いに行くと、常世神社があるよ。
社は謡曲“鉢木”に主人公として登場する佐野源左衛門常世の宅跡と伝えられる場所に建っているんだ。

<謡曲“鉢木”>
昔、領地を一族に奪われた源左衛門という人が、この里で貧しく暮らしていたんだって。

ある大雪の日、そこに旅の僧が泊めてほしいとやって来たんだ。

でも、暖をとる薪がない…。源左衛門は大切にしていた盆栽の“鉢木”を焚いてあげたんだって。

この僧をもてなしながら源左衛門は「今はこんなに落ちぶれているが、自分はれっきとした鎌倉武士で、いざ鎌倉に事があれば真っ先に駆けつけるつもりでいる」って話をしたんだ。

な、なんと!、実はその旅の僧、鎌倉幕府執権北条時頼だったのだ!。

時頼は鎌倉に帰ると早速、諸国の武士を鎌倉に呼び集めた。

源左衛門を前に呼び、あの夜泊めてあげた僧は時頼であったことを知らせたんだ!

そして、薪にした松・桜・梅の鉢にちなんで、この文字の付く3つの領地を与えたというお話だよ。

佐野中学校の校歌のなかにもでてきたのん…。

常世神社を少し北へいくと「佐野の船橋歌碑」があるよ。万葉集に載っている歴史の深い歌なんだ。

「佐野の船橋」のお話は、以前に紹介したよね。万葉集が編纂されたのは奈良時代の759年頃みたいだから、佐野の舟橋の物語は少なくともそれ以前から語り継がれていたんだろうなあ。

身近にあるのに知らない物語やまつわる場所、歴史の深い物事など、興味深いことがあるんだなと思ったのん。

おうちの近くにある小さな神社や道端の石碑が思わぬ伝説を持っていたりするかもね。

(上毛新聞タカタイ 2014年9月26日掲載内容に加筆修正)