難攻不落はやっぱりすごかった!「箕輪城跡」

いままで高崎の歴史をいろいろとお話していく中で、沢山出て来た箕輪城。
どんなお城だったのかな?

今はお城は残っていないけれど、この箕輪城跡は高崎市内にある10カ所の国指定史跡の中の1つ!

貴重な歴史として大切にされているんだ。

日本城郭協会認定の日本百名城の1つで、遠方から訪ねてくる人も多いんだよ!

よーし、行ってみよう!

箕輪城は、榛名山東南側のふもとに広がる丘の上を中心に、周辺の平地部を含んだ戦国時代の平山城(ひらやまじろ)だのん。

小高い丘に建てられたお城。西側には川が流れ、南側には湿地帯があった自然の地形を利用したつくりになっていたんだね。

南北に1.1km、城域面積は約36ha、東京ドームだと約7個分!うわあ、大きいのん!(うち史跡部分は19ha)

箕輪城は西暦1500年前後に、この地域を支配していた長野氏によって築城されたんだ。

その後4代にわたって長野氏が治めていたんだけど、西上野の国の侵略を狙う武田信玄に攻め落とされ、その後は武田氏、織田氏、北條氏、徳川氏と、次々と主をかえていくんだ。
その度に新たな堀が造られたりしてすこしずつ形と機能を変えていくの。

最後の城主であった井伊直政は、徳川家康の家臣の中では最大の石高(こくだか)12万石を持っていたんだって。
1598年に城を高崎に移し、箕輪城は廃城になるんだけれど、今城跡に残っているのは主に直政の時代に造られたものと考えられていているんだ。

発掘調査によって門の跡、石垣、石組みの排水溝、土塁、堀などが見つかっているんだよ。
特に虎口(こぐち)と言われる出入り口まわりが良く残っていて、現在虎口門の復元作業が進められているんだ。

北関東の要の城と言われた難攻不落の箕輪城。

城の中央部を南北に分断する役割の大堀切など、同時代の城としては全国的な規模を誇っているんだって。

当時は今みたいな大きな重機なんてなかった時代。人々の手でこんなに大きくて深い掘を掘る作業は、一体どれくらいの時間と労力がかかったんだろう…

城跡の主な場所をぐるっと巡れる遊歩道が整備されているから、木々の中を戦国の歴史や当時の風景を思いながら、じっくりとお散歩してみるのもいいのん。

階段などが多く高低差もあるルートだから、足元には注意してね。

(上毛新聞タカタイ 2016年5月20日掲載内容に加筆修正)