静かに残るもう一つの城「鷹留城跡」

よく晴れた青いお空は気持ちいい!
烏川を下に見ながら榛名湖方面へふわふわと飛んでいたら、気になる標識を見つけたのん。

場所は下室田町。『鷹留城跡 0.3km』とあるのん。

…城跡?気になったから進んでみよう!

標識の先には木々が生い茂っている小高い山。
細い山道が続いていて、所々別れていたりしてるみたい。
少し上には開けているところが見えるのん。

自然のまま落ちた枝や小石が転がっているので足元に注意しながら左回りに進んでいくと、小さな石段がある。

登ってみよう!

すると…鷹留城跡の解説版が。

「ここはお城の跡だったんだ‼」

鷹留城は明応年間(1492~1500)に長野業尚(なりひさ)によってここ下室田町字城山の地に築城されたお城なんだって。

永禄9(1566)年に武田信玄との戦いで落城するまでの間、長野氏四代の居城として構えられたそうなんだ。

長野氏といえば以前にもここで紹介した長野堰を整備した長野業政などがいるこの地域を治めていた一族だね。

鷹留城は長野氏一門直轄の最有力支城のひとつで、同時期に築かれたとされる主城の箕輪城とは「別城一郭」の関係で、一心同体の存在。
一方が敵に攻められればもう一方が駆けつけるというように両城が連携してお城の防御や攻撃の基本としていたと考えられているんだって。

難攻不落と言われた名城・箕輪城を支えたお城だったんだね。
武田氏の箕輪攻略の戦略はこの両城の分断から始まったとも言われているんだ。

南北約430メートル、東西約300メートル、本丸の高さは東側の谷から70メートルあり、山城の規模としては県内でも有数の大きさなんだって。

また、中世永禄期(1558~69年)の中規模の山城の典型のつくりで本丸以下の曲輪、虎口、大手口、搦手口、井戸、堀切等の各種遺構が原形に近く残っている点で県内でもとても貴重な史跡なんだのん。
1982年(昭和57年)4月1日、当時榛名町の指定史跡になったのん。

少し南に下ると、長野氏の菩提寺として知られる長年寺があるのん。
現在、ここには初代鷹留城主の長野業尚をはじめ、箕輪城主の長野業政など長野氏累代7人の五輪塔のお墓があり、ここも市指定史跡となっているんだ。

はるか昔の戦国時代、僕たちが住んでいる場所にいた人たちは、のろしの合図や、攻め入る敵陣を見てどんなことを考えていたんだろう。

まだまだ知らないことがいっぱいだのん!
これからももっと高崎のいろんな場所旅してみるのーん!

参考文献:群馬の古城 山崎 一 著

(上毛新聞タカタイ 2018年1月26日掲載内容に加筆修正)