県内に残るたった一つのお城の跡だよ!「高崎城乾櫓(いぬいやぐら)」

今回は高崎城趾をご紹介するのん!

ぐーんと歴史はさかのぼって江戸幕府時代。もともとこの地には平安時代の頃から、和田城というお城があったんだ。

それが慶長3年(1598年)徳川家康の命令で、当時箕郷城主であった井伊直政が和田城の跡地に近代城郭を築いたんだって。

そして城下町としての基礎を築き地名を高崎と改めて、この高崎城とともに高崎城下町が誕生したの。

城を築城するにあたって、家康が幕下の築城家を派遣して作らせた名城だったらしいよ!

城下の田町や本町などを中心に商業も盛んになり、高崎の繁栄につながっていったんだ!

でもそんな高崎城も時代の流れと共に役目を終えて、明治4年(1871)廃藩置県で廃城が決まってしまった!。

お城の建造物は民間に払い下げられて、一時は下小鳥の農家で納屋として使われていたりもしたんだ。

でも、昭和49年、この高崎城乾櫓(たかさきじょういぬいやぐら)は群馬県指定重要文化財に指定されたことによって、51年に寄付されて復元され、ここに移築されたんだ。

乾櫓とは高崎城本丸の北西、戌亥(いぬい)の方角にあった櫓(やぐら)のこと。
群馬県でも唯一の城郭構造物なんだって!

歴史上の貴重な建築物が残される事になって良かった〜。

廃城の後の跡地は明治17年(1884)5月発足した歩兵隊15連隊の駐屯地として使用されていたんだ。

歩兵15連隊とは、高崎で作られた大日本帝国陸軍の部隊の一つ。日清・日露戦争から、太平洋戦争まで活躍し、高崎は十五連隊の街といわれるほどだったんだって。
その勇敢な兵隊さんたちの貢献を悼んで今では乾櫓のそばにその石碑が残っているよ。

外堀と堀に沿った土塁の大半は城址公園として残されて、今はみんなの憩いの場だね。

秋にはイチョウの木が色鮮やかで、お堀周辺の桜はライトアップで水面に映しだされる黒とピンクのコントラストがとーてもきれいな名所だよ!

また、高崎城址に当時創立された高崎市立短期大学(今の高崎経済大学)の学章は、良い政治で皆を導いた高崎城主大河内氏の家紋三ツ扇に由来しているんだって。

現在、城址地区には市役所を初め様々な公共施設ができて、市民のみんなを守ってくれているよね。
これからも貴重な歴史をみんなで大切に守っていこうね!

(上毛新聞タカタイ 2013年12月27日掲載内容に加筆修正)