4kmごとの癒しの目印「一里塚」

お天気のいい日。日射しを反射してきらきら光る烏川を眺めながらピューンと碓氷川の方面に飛んで行ってみたよ。

君が代橋を過ぎて、安中方面へ向かう車が沢山通る国道18号線を行くと、道沿いに大きな木があったんだ。

そばには「一里塚」とかいてある石碑がある。

「一里塚」ってなんだろう…?

そう、この道は中山道だのん!

江戸時代に家康が全国を治めるために整備した五街道(東海道・日光街道・奥州街道・中山道・甲州街道)のなかの1つだね。

参勤交代にも利用されていたんだって。
江戸から京都までのルートには、海沿いの東海道の他に、山沿いのこの中山道があったんだ。

江戸の日本橋を起点に、現在の埼玉県、群馬県、長野県、岐阜県を経由して、滋賀県で東海道と合流し、京都三条大橋に至る長ーい道だよ。

中山道は中仙道と書いてあるのを見たことがある人もいるかもしれないけれど、正しくは正徳6(1716)年に幕府から、「海道に対する山道であるから、公文書では中仙道の文字はあやまりである」というお触れが出されていたんだって。

この中山道の距離は132里(約528 km)。江戸、京都間の移動にかかる日数はなんと!通常16日もかかったんだ!

なので街道には一定間隔ごとに宿場が作られたんだって。途中でお休みしなくちゃ大変だー。

宿場の数は69宿(そのうち2宿は東海道と重複しています)あって、群馬県には、新町、倉賀野、高崎、板鼻、安中、松井田、坂本の7宿が置かれていたよ。

そして一里ごとに「一里塚」が作られたんだ。

一里というのは尺貫法の距離の単位で約4km。一定の目印があれば、長時間歩き続ける人たちも助かるね。

一里塚のつくりは、5間(約9m)四方の盛り土をして、中央に松や榎を植えるのが一般的だったんだって。

そっかあ。目印としてもわかりやすいし、街道を往来する旅人にとっては、夏には木陰もできてひと休みするのにも最適だね。

この下豊岡の一里塚は江戸日本橋から28里の位置にあって、中山道で江戸から約112kmの距離のところにあるよ。

今でもここには大きなクスノキが残っているのん。なんとこの樹齢は約400年とも言われているの!沢山の人たちをそっと癒す存在だったんだろうなあ。

いまでは車で行き交う人たちを見守っているんだね。

なんとここは群馬県内に1つしか残っていない一里塚なんだって!

ボクもちょっと休憩しようっと!

今も中山道の沿線にはこの一里塚をはじめ当時を偲ばせる貴重な文化財がたーくさん残っているよ。

色んな人が行き交った道ではいろんな文化や商売なんかも生まれたんだろうなあ。
これからも大切に守りながら、高崎や地域の歴史を楽しんでいきたいのん!

参照:図説・高崎の歴史 石原征明著

(上毛新聞タカタイ 2015年3月27日掲載内容に加筆修正)